自己愛としての自己嫌悪
自己嫌悪ってのは、自己愛の現れの一種なのではないか。
自己嫌悪と自己愛は真逆な関係だと思っていた。
でもそれは違うような気がした。自己嫌悪は、自己愛の遂行途中の副産物なのかもしれない。
自分の何が嫌いなのかを考えてみた。
すぐ自分の殻に閉じこもり、本能的に自分を守ろうとするところ
すぐ人の意見に流されるくらいには自分の意見がないところ
人の感情に振り回され過ぎるところ
など、まあきりがないっちゃないんだが。
なんでこういう自分が嫌いなのか。
なぜこういう自分も自分だと受け入れられないのか。
それは、自分が本来ありたいと思っている自分のありたい姿が、あまりにも現状からかけ離れているからなのではないかと思った。その理想像は、そこに常に存在して見える太陽のように、手を伸ばせば届きそうって思えるけど、実際はそんなんじゃ到底届きもしない。そんな距離感を感じる。
本来であれば、そういう自分のありたい姿っていうのは希望になり、人を駆り立てる衝動や欲求としていい方向に働く。けど、これがあまりにもかけ離れているから、希望は絶望にシフトしていく。
じゃあなんで自分はこんな自分の理想像を思い描いているのか。
単なる理想主義ではないと思っている。支離滅裂な理想論を並べているわけではない。じゃあなんでか。
今の自分が、この社会で生きるには不利に働くと感じているからだ。
この人間社会の中で、生きづらさを感じさせるものたちだからだ。
生き物は当然、苦しみの中にはいたくない。出来ることなら、喜びを感じたい。まあこれも、苦しみがあるから喜びの本質的な善さを感じられるわけなんだけれども。
とにかく、今私が嫌っている自分の部分が、この社会を生きる中でかなり邪魔だと思っているからだ。邪魔だし自分を苦しめるモンスターだと思っているからだ。
殻にこもるのが嫌い ← 本当は殻にすぐこもらずに、オープンでいたい
すぐ流される自分が嫌い ← 自分の意見や軸があって、それを貫く意志を持ちたい
感情に翻弄される自分が嫌い ← 人の感情に流されず振り回されず、冷静でいたい
こういう願望があるのは、自分が今持っている自分の性質について、社会との相性がすこぶる悪いってのを肌で感じているからだ。
経験論寄りの話にはなってるけど。人間は社会という文脈の中で幸せを感じられる生き物だと仮定するならば、自分はその幸せまでの道に高い壁をたくさん見つけてしまっているのだ。
まあそれだけ自分が苦しみを感じているってことだ。この自分の性質がゆえに、と今のところ理解しているのだ。
で、よくよく考えてみると、こうやって自分が自分の性質がゆえに苦しみを感じていて、その性質を嫌っていると。じゃあなんで嫌っているかというと、その苦しみを解放したい気持ちがあり、でもそれが今の自分の性質によって邪魔されているから、ということになる。
これはつまり、本質的には、自分は幸せの方向に向かおうとしている、ということだ。
苦しみから解放されるということも、一種の幸せなのだ。
だって、ずっと縄で縛られていた状態から解放された瞬間、誰だって幸福感を感じるのではなかろうか。自由になった!っていう。
まあつまりは、幸せに向かおうという生命の力そのものが、そのプロセスの途中で自己嫌悪を生んでいるという、逆説的な現象が起きているのだ。
もしこれが自然摂理なんだとしたら、じゃあその自分が嫌いと思っている部分を好きになろう、とするのは、自然に反することになる。
嫌い、などの負の感情もまた、人を突き動かす言動力なのだ。
これも生物に宿っている生き伸びるための機能なのだ。負の感情があるから、自分を脅かす脅威から逃げることが出来たり、むしろ明るい感情よりも強力な起爆剤になったりもする。
ただ、ここで注意しないといけないのは、自分が嫌っている自分の一部分が、自分の生来の性質である場合だ。これを嫌うというのは、もうただの自爆だ。
こんな言葉がある。
変えられるものを変える勇気を。
変えられないものを受け入れる冷静さを。
そしてこれらを判別する知恵を。
そう、変えられないものを変えようと努力することは、これこそ自然摂理に反する。
自分が繊細な心を持って生まれたとして、この心を強靭にしよう!と頑張るのは時間の無駄である。無理なものは無理だからだ。でもこの場合、その繊細な心(感性)自体は強靭にすることはできないけど、傷ついた自分をいかにすぐ癒すことが出来るか、ということを考える事は可能だ。
つまり、本質的に変えられないものを、本質から変えようとすることは、考えるべきではない。
逆に、もし自分が変えられる余地のある部分を嫌っているのなら、それを好きになろうとすることは自然に反する。さっき話した通り、この苦しみというのは、自分が幸せに向かう途中で、邪魔者を見つけている状態だ。その邪魔者がなかなか消えないから、希望への道にそびえたつ壁がなかなか壊れない。苦しい。
だから、その苦しみの原因となっている、自分の嫌いな部分ってのは、好きになるべきではないのだ。だって変えられるものだから。好きになったら本末転倒だ。
ただし、好きになるのではなく受け入れる、というのは出来ると思う。というか、これをしないとこの壁は破壊出来ない気がしている。これをすることで、現状把握できるというか、感情を一旦放棄して、冷静に事実を見つめられる気がするからだ。
一旦受け入れる、というステップを踏めば、
じゃあそれを変えるためにはどうしたらいいのか、を冷静に考える事が出来るのではないかと思う。
なんというか、理性的に現状理解をする、という感じだ。現実を受け入れなければ、話はそこから先に進まないから。誰だってぐだぐだと駄々をこねて時間を無駄にしたくはない。
もちろん自分が嫌いと思っている自分の側面は、単純なものもあれば、いろんな因子が絡みまくっているものもある。
後者を考えるのは、少し時間がかかる。
でもそれでも、時間をかけて、じっくりと考え、有効だと思うアクションを実行してみる。この繰り返しなんじゃないかと思う。
それに、そもそも論ではあるが、そこは変えるべきではない、というのもあるだろう。
本来であればそれは個性であり、その人の才能でもあるのに、それを変えようとするのは悲しいことだ。
変えるべきかどうかってのは、じゃあ何を基準に考えればいいのか?
私は、その自分が今変えたいと思っている性質が、何か外部へ有益なものを与えているなら、変えなくてもいいと思う。それをさらに磨く、という意味での変革はもちろんいいと思うが。
自分という生き物は、自分の持つ力を、能力を、どれだけ社会や周りの人に役立てることが出来るか、を考えることが大切だと思う。
自分が最大限力を発揮するには、を考えるべきなのだ。
だから、自分を毛嫌いし、その嫌いという感情に飲み込まれ、どうせ自分には出来ない、とかいう風に考えてしまうのは、理性的ではない。
感情という動物的本能に凌駕されているだけで、動物的な生き方だ。人間的な生き方とは言えない。
変えられないことと変えられることを区別する知恵もだが、
変えるべきところと変えるべきでないところを区別する知恵もまた、持ちたいものである。
残酷
人にはその人だけの生い立ちがある。
その大きくて長い物語には、たくさんの追憶が流れる。
私は今までもらった手紙を見返していた。
私は手紙が大好きだ。なぜなら、その優しい記憶は、形あるものとして永遠に私のそばにいてくれるからだ。人間の脳による記憶は限界がある。いつか、思い出せなくなってしまう。でも、文字として刻まれたこの暖かい記憶は、私の心をいつも潤してくれるから。
私が今まで生きてきた中でもらった手紙を、読み返していた。
大学時代の部活の先輩からの言葉を見返していた時、ふと悲しい風が私の中を吹き抜けた。この頃、いろんなことがあった。部活動では、チームメンバーの熱い感情がぶつかり合うこともしばしばあった。それだけ熱い想いでみんな取り組んでいたのだ。だが、その深さが人間関係を難しくすることも少なくなかった。私はそれに悩み苦しみもがいた。そして、その根底には、いつも人間不信という感覚が付きまとっていた。
なぜ私はこんなにも人を信じることができないの?
本当はみんなを信じたいのに。信じていると思いたいのに。どこか私の無意識が、人を信じてはいけない、人は信じるものじゃない、って忠告してくる感覚があった。どうして?信じたいのに心の底から信じれていない。そうしたいのに、そうできない。その差にいつも私は苦しんだ。そしてそんな自分を責めた。
人は幼少期、思春期の経験によって、世界の捉え方を学習する。私は、本当に間違った学習をしたんだろう。その発端は、中学時代だった。
敏感な気質が仇となったようにずっと感じていた。荒れ果てたクラスでいじめや陰口表口が飛び交う世界。その残酷さを、私はダイレクトに受け取った。生まれつき敏感だった私は、両親の保護のもとで育った。両親が守ってくれていた私の心は、両親がいなければ、剥き出しであるようなものだった。自分で守る力をつけることが出来ていなかったのかもしれない。バリアも何もない状態だった私の心には、人間が生きるこの世界は、危険なところだ、という風に映し出された。
ここは危険だ。世界は危険で、脅威で溢れているんだ。人は傷つけてくるものだ。
私はその環境にいられなくなって、学校に行かなくなった。
そして自分を信じるなんてことも、ありのままの自分を受け入れることも、一度もなかった。
私はここで間違った学習をしてしまった。そしてそれを、修正する間もなく、大人になってしまった。今まで私はたくさんの優しさ、温かさに触れてきたばずなのに。その当時負った心の傷は、未熟で幼い私の心には深く深く骨の髄まで刻まれたのかもしれない。その傷が痛むから、またその傷を負いたくないから、傷つきたくないから、私は人の弱い部分を見ると、すぐさま心を閉ざした。
そんなことをずっと繰り返して大人になった。私はいまだに、心の傷が開きそうになった瞬間、人に対して心を閉ざしているのかもしれない。たとえその人がどれだけ善良で優しい人であっても。人間は知らず知らずのうちに、悪気もなく、人を傷つけてしまうものだから。人に心をずっと開けていなかったのかもしれない。
私があの時もっとありのままの自分を受け入れられていたら。自分を信じられていたら。優しさをくれた人達のことを、信じる勇気を持てていたら。
そう過去を嘆くことしかできなかった。
大学時代の先輩からいただいた、温かい言葉を、当時の私はどれだけちゃんと受け止められていたのだろう。私は、人の優しさすら、受け止められていなかったのかのしれない。信じるのが怖くて。傷つくのが怖くて。私はなんて人間なんだろう。
残酷な事実だ。幼少期に形成していった考え方によって、私は今までどれだけの優しい言葉をかわしてきたのだろうか。そして、そんな自分を責めるしか出来ない。
私の考え方がだめだったからだ。過去を清算せずに、大人になってしまったからだ。そして自尊心もないまま、自己受容もしないまま、大人になってしまったからだ。だから私は、人の優しさをも信じられず、受け止められないような冷酷な人間になってしまっていたのかと思うと、悔しくて苦しくてたまらない。視界が揺らぐ。床に這いつくばる。呼吸が荒くなる。悲しみと悔しさと苦しみの感情が剥き出しになる。慟哭する。
私はきっと、やり直せる。今はそう信じている。今が苦しい時かもしれない。でも、私は変われるんだ。過去を清算し、自分を信じること。この世界は、この世界に生きる人々は、優しさを兼ね備えた生き物なのだと。そう信じれると、思いたい。
それと同時に、私は確信した。もうこれ以上、このような残酷な事実に苦しみ心をえぐられる人を輩出してはいけない。不登校問題は今や社会問題だ。特にこの日本では、自尊心が育ちにくい。耐えることが美徳とされる風習がまだ残っているからだ。
私はこれからを生きる子どもたちが、苦しみを抱えたまま大人になってほしくない。完成された苦しい考え方を抱えて苦しみながら生きる子どもたちをこれ以上増やしたくない。自分の心によって自分を殺すなんてことを、してほしくない。
私は、その使命を果たすために、生まれてきたのかもしれない。
この日本を、これからを生きる人たちを、正しい道に導くことが、私の使命であり、ミッションであるのかもしれない。自分が誤った道に進んでしまったのは、このことに気づくためだったのかもしれない。
傲慢さを恥じる
私は生まれた時から世界に対して恐怖を抱いていた。
新しいものは脅威。だからなんとしてでも自分を守らなければ。
そんな感覚をいつも抱いていた。
私は、敏感性を持って生まれたのだ。
おそらく私の両親も、二人ともその気質を持っていたと思う。
だが私は、この敏感性に悩まされた。
なぜこんなに疲れやすいのか、なぜこんなに傷つきやすいのか。そんな自分を、弱さであるとし、自分を責め続けた。
人間界は、社会は残酷だ。
なぜなら、強い者が評価され、優遇されるからだ。
そして反対に、弱い者はどんどん落ちていく。
弱者にとって、生きづらい社会に他ならなかった。
私は自分の気質を、敏感性を、欠陥だとみなした。
そして少しでも強者に近づけるために、必死に自分を変えようとした。ありのままの自分を受け入れようなんて思ったことはなかったかもしれない。受け入れられなかったという方が正しいかもしれない。この社会で生き抜くためには、受け入れるという選択肢は、微塵も見えなかったのだ。
どんでもない傲慢さだ。
ありのままの自分を受け入れもせず、強欲に求め続けた。
そして自分の弱さに直面すると、いつも心の中で言い訳をした。何か正当な言い訳を探し出し、正当化した。私は心底傲慢で、惨めだった。
そしてこの傲慢さが、大切な人をも傷つけているということに、今日の今日まで気づかなかったのだ。両親はそんな私を見て、どんな気持ちだったのだろうか。きっと、我が子が苦しむ姿を目にし、この運命に責任を感じただろう。父も母も慈悲深い、思いやりのある人だ。責任感も人一倍強い。そんな両親に、私はなんて残酷な姿を見せ続けていたのだろうか。
両親はきっと、心の中でこう叫んでいただろう。
「もっと丈夫で、強い子に産んであげられなくてごめんね。」
と。
私は、本当に馬鹿だ。
両親の元に生まれてきたことだけで、それだけで美しく儚く、代わりなんて何一つないものなのに。私は両親から受け継いだこの肉体を、心を、気持ちを、何一つ受け入れていなかったのかもしれない。強欲に、ないものねだりをし続けていたのかもしれない。
私は、私が生きてきたこの25年間、両親の心をずっと蝕んでいたのかもしれない。
心の底から、涙が溢れた。
今日を境に、私は誓った。
私は私を受け入れるのだ。これは、自分のためではなく、両親のために。
両親のためならなんでもできる気がするんだ。
私は結局、自分のためよりも、誰かのためじゃなきゃ、動けないのだ。
心優しい、両親から受け継いだ血だから。
SOSを出すこと
昨日、私は絶望していた。まるで、奈落の底に落下して、上を見上げても到底よじ登れなさそうな、どん底にいたようだった。
自分の傷つきやすさや、疲れやすさを嘆いていた。どうして自分はこんなに傷つきやすいのか、どうして自分はこんなに疲れやすいのか。そんな自分が本当に心の底から嫌になった。
私の周りには、あんなにタフで元気で傷つきにくい人たちがいるのに。どうして私は彼らみたいに強靭な体力と精神を持ち合わせていないんだろう。
どうやったら、つまようじで刺されたくらいで動けなくなる自分の心を守ることが出来るのだろう。そしてこれから、この体と付き合っていくことは本当に出来るのだろうか。
ハードモードだ。
毎回こんなに疲れていたら、私の身体は、心は本当にもうもたないかもしれない。
普通の人はこんなことで傷ついたり、疲れたりはしないだろう。でも私は、驚くほど疲弊する。これじゃ、今後の人生どんなことがあっても、自分を守り切れる自信がない。それに、自分はやはり苦しい考え方ばかりが頭に染みついている。苦しい考え方が、自動思考となって無意識的に頭が支配される。
そんな自動思考を、変えていくことが本当に出来るのだろうか。
私は絶望した。今後の人生がハードモードにしか思えなかった。
中学時代に不登校になってから、私は社会を拒絶するようになった。それ以来、社会的スキルは壊滅的なまま大人になった。そして自分が苦しむような考え方を背負って大人になった。さらには自分の気質は敏感で、繊細で、疲れやすい。
もうだめだ。私は生きていても苦しいことしかないだろう。もうそれなら、いっそのこと生きることから解放されたい。
そう考えてしまった。
バルコニーを眺めた。ここから飛び降りたらどうなるんだろう。痛いのかな。
家族はきっと、慟哭するだろうな。
そんな家族を想像して、ますます苦しくなる。
ああ、私に逃げ道はないのだろうか。
ふとその時思った。あれ、私、本当に助けてほしい時、感情が抑えられなくて涙が止まらない時、誰かに助けを求めたこと、あったっけ。
ちょっとした相談事や、悩み事は割と誰かに相談できていた。基本的に自分自身で解決することの方が多いけど。
けど、本当に死にたいと思った時、助けてほしいと思った時、誰かにSOSを出したこと、あったっけ。そういえば、一度もなかったかもしれない。そのことに気づいた。
中学時代も、大学時代も、誰かに心の底からの涙を見せたことは、なかったかもしれない。そう気づいたのだ。
勇気を出して、親友にLINEを入れた。誰かに聞いてほしくて、一人では抱えきれなくて。何かアドバイスが欲しいんじゃなくて、ただ聞いてほしくて。
ほんの少しだけ、肩が軽くなった気がした。そしてなにより、自分自身が一歩前に進めた気がした。人に頼ることが本当に苦手だった自分が、勇気を出して誰かにSOSを出すことが出来た。1つまた、成功体験をゲットできた。
そして、とにかくマイナス思考の連鎖に入った時は、一度強制終了することが本当に大切だということが分かった。その日、私はとにかく寝た。負のループは一度断ち切るべきだ。それが気晴らしに何か好きなテレビを見るでも音楽を聴くでもなんでもいい。とにかく苦しいことを考える隙を与えないように、意識を紛らわし、とにかく寝ること。
次の日、目が覚めたら、少しだけ楽になっていた。昨日なんて頭が暴走していたんだろうって少し冷静だった。そして何より、リセットされた脳の状態だったため、新たな教訓に気づくことが出来たのだ。
それは、自分自身が自分の心の味方でいること。非常にシンプルだが、私にはこれが微塵も出来ていなかったのだ。自動思考で自分を嫌い、自分の気質を嘆き、自分の心に負った傷を放置するどころか、傷口に塩を塗っていたようなものだ。自動思考だから、無意識に発動してしまうのだ。まだまだ私は感情をコントロールする力が足りないようだ。
だが、自分自身が自分の味方になれれさえすれば、自分の傷を自分で癒すことが出来る。このことを忘れないようにしたい。
苦しくて苦しくてたまらない時はこれを思い出したい。
・一度そのループにはまってしまったら、強制終了すること(脳をリセットすること)
・自動思考で自分を下げる考え方になっていないか、自分の脳を観察すること
・自分が自分の味方でいること
人はいつからでも、変われると思いたい。
私はそう信じ、また今日も生きることを選んだ。
■
悲しみでいっぱいだ。
どういうわけか、涙が止まらない。
シャワーを浴びながら、座り込んで、泣き叫ぶ。
泣き叫ばずにはいられなかった。
悔しいのか?悲しいのか?いたたまれないのか?いろんな感情がごちゃ混ぜになって分からない。
なぜだろう、なぜ私は泣いているのだろう。
でも、確かなのは、私は悲しみの滝に打たれているということだ。悲しみの中にいるということだ。
私は優しさで溢れた人でありたい。
誰かのために出来ることは、細かいことでも全部やりたい。
相手のことを考え、陰で支えられる人間でありたい。
でも、私の気持ちは、届いていないように感じる。私の善意が、慈悲が、ふっとすり抜けて、消えていく。
ボールを投げても、見逃される。
悲しみでいっぱいだ。
人は無条件に与えてくれる人に対しては、慣れが生じてしまうものだ。だから、失って初めて気づくなんてことが起こることもある。悲劇的だ。
私はただ、生きとし生ける全ての罪なき人たちが、ただ幸せに生きて欲しい。ただそれだけなのだ。
でも私の想いはきっと、私の善意はきっと、私の気持ちはきっと、相手にとっては都合のよいものになることがしばしばだ。
悲しい。悲しい。涙が止まらない。
くじけるな。立ちあがれ。きっと私はこのような体験に、何百、何千とぶち当たるだろう。
立ち上がれ。悲しくても、泣き辞め。泣き続けるな。
私は心がきれいなだけだ。傷ついてしまうのは、きっと私には避けられない。でも、私のやっていることは間違いではない。
そして、都合のいい人として解釈されているというのはただの妄論に過ぎない。過度の妄想だ。
相手もいつか、いつの日か、気づく時が来るだろう。それまで、長い目で、待っていようじゃないか。
私はえらいよ、本当にえらい。その行動は素晴らしいし、何も間違っちゃいない。十分よくやっている。
悲しくて涙が出てしまうのは、それだけあなたが綺麗で繊細で、麗しい心を持っているからだ。私の心はよどんじゃいない証拠だ。
そしておそらく、少なからず献身的になりすぎている部分もあるからかもしれない。自分を犠牲にする部分がある場合、そこまでして人に何かをしたが、相手に届かなかったのなら、金魚すくいのポイのごとく脆い心はぺりっと穴が開くのもうなずける。自分自身を守れていない証拠かもしれない。今私に足りないことは、自分のことを自分で守れることだ。
私の生きる原動力とは何か。
それは、大切な人が抱える苦しみによって生じる、私の深い哀しみだ。
この哀しみが私にとっては大きな大きな原動力で、力を振り絞る起爆剤になる。大切な人が涙を流すところを見たくないからだ。苦しんでいる姿を、泣いている姿を見ると、自分の心が苦しくて苦しくて、どうしようもないんだ。
私の使命は、大切な人が、涙を流す生き方ではなく、喜びで満ちた生き方に導くことだ。
大切な人が苦しんでいる姿を見たくないから、ただそれだけだ。だから、私が喜びに変えるんだ。
これが私の本当の願望なのだ。
私が心から感じていることは、これだ。
大切な人が、私の周りにいる大切な人が、涙でおぼれないように、その人のためになることを考えて、行動するのだ。
そして、大切な人だけでなく、全ての人達が、涙でいっぱいの生き方ではなく、笑顔が溢れ、愛に満ちた生き方に出来るように、私が出来ることをただやるんだ。これが私の生き方なのだ。
ありがとう、悲しみよ。
この道は苦しいことが多いかもしれない。
慈悲の愛が、全員に届くことはないだろう。それでも負けず、全員に与え続けろ。そして自分の心を守り続けろ。
私の心自体は、それで満たされるのだから。
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初めて私が、自分のことを自分で守る言葉をかけられたのが昨日だった。
この感覚を忘れずに、今後も生きていきたい。
自己受容への第一歩
今日は総じてやる気が出ない一日だった。
午前中はとにかく心地よいと感じることを行うようにしましょう。臨床心理士の方から、このようにアドバイスをいただいた。だから、朝起きてからは、毎日本を読む時間を設けている。私は本を読むことが大好きなのだ。興味が湧く分野の、いろんな知識をつけることに快感を得るからだ。
今日も朝、ゆっくりと本を読もうと思ったが、どうも意識が別のものに吸い取られる。休職関連の手続きのことだ。やらなければ、と思うが、面倒な手続きもあり、億劫になる。余計に神経が使われるようだ。
昨日の夜考えていた、今日やることは全て片づけられた。いつもの自分では、この段階で自分をほめることは一度もなかっただろう。だが、私は変わりたいのだ。自分のこの弱っちい精神を鍛えたいという思いがあるのだ。だから、自分をほめてあげようと思う。ちゃんとやろうと思ったことを出来て、えらいぞ自分、と。
だが、今日の昼間は、気づけば眠りに落ちていた。なぜこんなに昼間に眠気が襲うのだろうか。そして、やる気の出ない自分に少しばかりか、かなり嫌気がさす。そのマイナスな感情が頭を覆うような感覚に陥る。
人間、やる気が出ない時はあるものだ。だからそんな自分をも受け入れることが大事だ。なかなかこの理論をいつも思い出せない。
どんな自分も、事実を事実として一度受け入れること。
自己受容には、まずこのステップがもっとも重要なことだ。これからも、この理論は意識していこう。壁に書いておこう。
夜はラーメンを食べた。一風堂の博多ラーメンだ。
博多ラーメンを食べると、いつも昔の幸せな記憶を思い出す。福岡のおばあちゃん家に帰ることが、大好きだった。優しいおじいちゃんおばあちゃんは、いつも私を受け入れてくれた。どんな私も受け入れてくれた。そんな、包容感が、私のこころをいつも潤してくれた。
博多ラーメンは、その時の暖かい気持ちをいつも彷彿させる。
家族とテレビ電話をした。今日は父の還暦の誕生日だ。
家族との会話は心地よい。心が満たされる感覚がある。
これからも、自分の心地よいと思う時間を大切にしようと思った。
自分がどういう時に心地よいと感じるか、ということにも目を向けていこうと思った。
光と闇
世の中は優しさで溢れている、そう思っていた。
それは今まで生きてきた中で、温かい記憶はたくさん存在する。
人の思いやり、優しさ、無償の愛、それは確かに存在する。
だが今の世の中は、それほど簡単なものではないようだ。
一度手に入れてしまった富は、かなりの中毒性がある。
ニコチンやアルコールと同じような感覚だろうか。脳がそれを欲していて、その見えない力は誰も何もコントロールできない感覚。
そしてその富を本能的に求めてしまう。本能に圧倒され、理性が置いてけぼりにされる。脳が感じるままに体が動いてしまう。私欲に目が眩んで、理性的な生き方が出来なくなる。
正直私もこの感覚は経験したことがあった。社会人になり、比較的給料の高い会社に就職し、給料に目が眩みかけた。お金さえあれば、まるでなんでも叶えられるような錯覚。自分の欲しいものが手に入る快感。この快感は、本当に幸せといえるのだろうか。
この世界は、きっと脳の感じるままに生きる人で溢れているんだろう。そして当人はそのことに気づいていない。そもそも理性的に生きられるような教育がなされているかといえば、不十分だと言わざるを得ないだろう。大昔からの哲学者が理性的な生き方を唱えているにもかかわらず、まだまだゴールは遠い。
だが、長期的な視点で見れば、人も変わってきているんだろう。暴力で解決するのではなく、話し合いで解決するという方法を段々と身につけてきているようにも感じる。
だが、未だに完璧な世界とはまるで言えない。まあ、ユートピア的世界が現実的かというもの怪しいが。
世界には優しさが溢れている。暖かい世界である。
それと同時に、本性的悪の世界も存在している。人間も生き物だからその点はしょうがないだろう。だが、その悪の世界への扉は、鍵がかかっていない状態だ。誰でもいとも簡単に開けて入ることが出来る世界線に私たちは生きているのだ。
つまり世界は混乱しているのだ。混沌としたこの世界に私たちは生きている。特に現代は、情報社会となり、あることないこと、正しいこと正しくないことが世に溢れている。情報リテラシーが不十分なままこの世界に生きていると、何も分からなくなる。
そんな世界を目の当たりにして、また打ちのめされる。
発達した脳を持つ人間として、その知性を正しく鍛え、正しく使い、人が幸せに暮らせる世界。これは非現実的なユートピアなのだろうか。この混乱はどう収束できるのか、人々が幸せに生きられる世界はあるのか。
とある記憶を思い出した。それはアフリカを旅していた時のことだ。
アフリカの治安は日本と比べ物にならないほど悪い。常に死と隣り合わせだ。
それでもアフリカにいる人びとは、いつも笑顔だった。小さな幸せを見つけては子どものようにはしゃいで喜んだ。
悪は世の基盤。傷ついて当たり前の世界。
そんな中にも暖かい光は存在する。
所詮、考え方の問題なのかもしれない。暖かい一縷の光を握りしめて、明日も生きていくこと。これが今の世界で、必要なマインドセットなのかもしれない。