こころの内省日記

内省を通じて、どのように”こころ”が変わりゆくかを綴った日記です。

傲慢さを恥じる

私は生まれた時から世界に対して恐怖を抱いていた。
新しいものは脅威。だからなんとしてでも自分を守らなければ。
そんな感覚をいつも抱いていた。
私は、敏感性を持って生まれたのだ。
おそらく私の両親も、二人ともその気質を持っていたと思う。

だが私は、この敏感性に悩まされた。
なぜこんなに疲れやすいのか、なぜこんなに傷つきやすいのか。そんな自分を、弱さであるとし、自分を責め続けた。

人間界は、社会は残酷だ。
なぜなら、強い者が評価され、優遇されるからだ。
そして反対に、弱い者はどんどん落ちていく。
弱者にとって、生きづらい社会に他ならなかった。

私は自分の気質を、敏感性を、欠陥だとみなした。
そして少しでも強者に近づけるために、必死に自分を変えようとした。ありのままの自分を受け入れようなんて思ったことはなかったかもしれない。受け入れられなかったという方が正しいかもしれない。この社会で生き抜くためには、受け入れるという選択肢は、微塵も見えなかったのだ。

どんでもない傲慢さだ。
ありのままの自分を受け入れもせず、強欲に求め続けた。
そして自分の弱さに直面すると、いつも心の中で言い訳をした。何か正当な言い訳を探し出し、正当化した。私は心底傲慢で、惨めだった。

そしてこの傲慢さが、大切な人をも傷つけているということに、今日の今日まで気づかなかったのだ。両親はそんな私を見て、どんな気持ちだったのだろうか。きっと、我が子が苦しむ姿を目にし、この運命に責任を感じただろう。父も母も慈悲深い、思いやりのある人だ。責任感も人一倍強い。そんな両親に、私はなんて残酷な姿を見せ続けていたのだろうか。
両親はきっと、心の中でこう叫んでいただろう。

「もっと丈夫で、強い子に産んであげられなくてごめんね。」
と。

私は、本当に馬鹿だ。
両親の元に生まれてきたことだけで、それだけで美しく儚く、代わりなんて何一つないものなのに。私は両親から受け継いだこの肉体を、心を、気持ちを、何一つ受け入れていなかったのかもしれない。強欲に、ないものねだりをし続けていたのかもしれない。

私は、私が生きてきたこの25年間、両親の心をずっと蝕んでいたのかもしれない。
心の底から、涙が溢れた。

今日を境に、私は誓った。
私は私を受け入れるのだ。これは、自分のためではなく、両親のために。
両親のためならなんでもできる気がするんだ。
私は結局、自分のためよりも、誰かのためじゃなきゃ、動けないのだ。

心優しい、両親から受け継いだ血だから。