こころの内省日記

内省を通じて、どのように”こころ”が変わりゆくかを綴った日記です。

SOSを出すこと

昨日、私は絶望していた。まるで、奈落の底に落下して、上を見上げても到底よじ登れなさそうな、どん底にいたようだった。
自分の傷つきやすさや、疲れやすさを嘆いていた。どうして自分はこんなに傷つきやすいのか、どうして自分はこんなに疲れやすいのか。そんな自分が本当に心の底から嫌になった。
私の周りには、あんなにタフで元気で傷つきにくい人たちがいるのに。どうして私は彼らみたいに強靭な体力と精神を持ち合わせていないんだろう。
どうやったら、つまようじで刺されたくらいで動けなくなる自分の心を守ることが出来るのだろう。そしてこれから、この体と付き合っていくことは本当に出来るのだろうか。

ハードモードだ。

毎回こんなに疲れていたら、私の身体は、心は本当にもうもたないかもしれない。
普通の人はこんなことで傷ついたり、疲れたりはしないだろう。でも私は、驚くほど疲弊する。これじゃ、今後の人生どんなことがあっても、自分を守り切れる自信がない。それに、自分はやはり苦しい考え方ばかりが頭に染みついている。苦しい考え方が、自動思考となって無意識的に頭が支配される。
そんな自動思考を、変えていくことが本当に出来るのだろうか。

 

私は絶望した。今後の人生がハードモードにしか思えなかった。
中学時代に不登校になってから、私は社会を拒絶するようになった。それ以来、社会的スキルは壊滅的なまま大人になった。そして自分が苦しむような考え方を背負って大人になった。さらには自分の気質は敏感で、繊細で、疲れやすい。
もうだめだ。私は生きていても苦しいことしかないだろう。もうそれなら、いっそのこと生きることから解放されたい。
そう考えてしまった。

バルコニーを眺めた。ここから飛び降りたらどうなるんだろう。痛いのかな。
家族はきっと、慟哭するだろうな。
そんな家族を想像して、ますます苦しくなる。
ああ、私に逃げ道はないのだろうか。

ふとその時思った。あれ、私、本当に助けてほしい時、感情が抑えられなくて涙が止まらない時、誰かに助けを求めたこと、あったっけ。
ちょっとした相談事や、悩み事は割と誰かに相談できていた。基本的に自分自身で解決することの方が多いけど。
けど、本当に死にたいと思った時、助けてほしいと思った時、誰かにSOSを出したこと、あったっけ。そういえば、一度もなかったかもしれない。そのことに気づいた。
中学時代も、大学時代も、誰かに心の底からの涙を見せたことは、なかったかもしれない。そう気づいたのだ。

勇気を出して、親友にLINEを入れた。誰かに聞いてほしくて、一人では抱えきれなくて。何かアドバイスが欲しいんじゃなくて、ただ聞いてほしくて。
ほんの少しだけ、肩が軽くなった気がした。そしてなにより、自分自身が一歩前に進めた気がした。人に頼ることが本当に苦手だった自分が、勇気を出して誰かにSOSを出すことが出来た。1つまた、成功体験をゲットできた。



そして、とにかくマイナス思考の連鎖に入った時は、一度強制終了することが本当に大切だということが分かった。その日、私はとにかく寝た。負のループは一度断ち切るべきだ。それが気晴らしに何か好きなテレビを見るでも音楽を聴くでもなんでもいい。とにかく苦しいことを考える隙を与えないように、意識を紛らわし、とにかく寝ること。
次の日、目が覚めたら、少しだけ楽になっていた。昨日なんて頭が暴走していたんだろうって少し冷静だった。そして何より、リセットされた脳の状態だったため、新たな教訓に気づくことが出来たのだ。
それは、自分自身が自分の心の味方でいること。非常にシンプルだが、私にはこれが微塵も出来ていなかったのだ。自動思考で自分を嫌い、自分の気質を嘆き、自分の心に負った傷を放置するどころか、傷口に塩を塗っていたようなものだ。自動思考だから、無意識に発動してしまうのだ。まだまだ私は感情をコントロールする力が足りないようだ。
だが、自分自身が自分の味方になれれさえすれば、自分の傷を自分で癒すことが出来る。このことを忘れないようにしたい。



苦しくて苦しくてたまらない時はこれを思い出したい。
・一度そのループにはまってしまったら、強制終了すること(脳をリセットすること)
・自動思考で自分を下げる考え方になっていないか、自分の脳を観察すること
・自分が自分の味方でいること

 

人はいつからでも、変われると思いたい。
私はそう信じ、また今日も生きることを選んだ。