こころの内省日記

内省を通じて、どのように”こころ”が変わりゆくかを綴った日記です。

光と闇

 

世の中は優しさで溢れている、そう思っていた。
それは今まで生きてきた中で、温かい記憶はたくさん存在する。
人の思いやり、優しさ、無償の愛、それは確かに存在する。
だが今の世の中は、それほど簡単なものではないようだ。

 

一度手に入れてしまった富は、かなりの中毒性がある。
ニコチンやアルコールと同じような感覚だろうか。脳がそれを欲していて、その見えない力は誰も何もコントロールできない感覚。
そしてその富を本能的に求めてしまう。本能に圧倒され、理性が置いてけぼりにされる。脳が感じるままに体が動いてしまう。私欲に目が眩んで、理性的な生き方が出来なくなる。

正直私もこの感覚は経験したことがあった。社会人になり、比較的給料の高い会社に就職し、給料に目が眩みかけた。お金さえあれば、まるでなんでも叶えられるような錯覚。自分の欲しいものが手に入る快感。この快感は、本当に幸せといえるのだろうか。

 

この世界は、きっと脳の感じるままに生きる人で溢れているんだろう。そして当人はそのことに気づいていない。そもそも理性的に生きられるような教育がなされているかといえば、不十分だと言わざるを得ないだろう。大昔からの哲学者が理性的な生き方を唱えているにもかかわらず、まだまだゴールは遠い。
だが、長期的な視点で見れば、人も変わってきているんだろう。暴力で解決するのではなく、話し合いで解決するという方法を段々と身につけてきているようにも感じる。
だが、未だに完璧な世界とはまるで言えない。まあ、ユートピア的世界が現実的かというもの怪しいが。

 

世界には優しさが溢れている。暖かい世界である。
それと同時に、本性的悪の世界も存在している。人間も生き物だからその点はしょうがないだろう。だが、その悪の世界への扉は、鍵がかかっていない状態だ。誰でもいとも簡単に開けて入ることが出来る世界線に私たちは生きているのだ。
つまり世界は混乱しているのだ。混沌としたこの世界に私たちは生きている。特に現代は、情報社会となり、あることないこと、正しいこと正しくないことが世に溢れている。情報リテラシーが不十分なままこの世界に生きていると、何も分からなくなる。

 

そんな世界を目の当たりにして、また打ちのめされる。

 

発達した脳を持つ人間として、その知性を正しく鍛え、正しく使い、人が幸せに暮らせる世界。これは非現実的なユートピアなのだろうか。この混乱はどう収束できるのか、人々が幸せに生きられる世界はあるのか。

 

とある記憶を思い出した。それはアフリカを旅していた時のことだ。
アフリカの治安は日本と比べ物にならないほど悪い。常に死と隣り合わせだ。
それでもアフリカにいる人びとは、いつも笑顔だった。小さな幸せを見つけては子どものようにはしゃいで喜んだ。

 

悪は世の基盤。傷ついて当たり前の世界。
そんな中にも暖かい光は存在する。
所詮、考え方の問題なのかもしれない。暖かい一縷の光を握りしめて、明日も生きていくこと。これが今の世界で、必要なマインドセットなのかもしれない。