こころの内省日記

内省を通じて、どのように”こころ”が変わりゆくかを綴った日記です。

精神崩落

 

うつ病ですね。」

 

うつ病?まさかそんな診断を受けるとは思ってもみなかった。
精神科医からこのように診断を受けた時、率直な感想はまさにこれだった。時が止まった世界の中で、私の感情だけがどんどん先を行く。

 

病院に行こうと思ったのは、7月の中旬。ここ最近は仕事の負荷がどんどん大きくなり、少なからずストレスを感じていたのは確かだった。だが、精神は潰れているようには思わなかった。今となっては錯覚に過ぎなかったのかもしれないが。

とある月曜日、いつものように自宅でPCを開き、メモしておいたタスク一覧を確認する。といっても、タスク内容は常時頭のどこかしらには格納されているから、念のためのチェックという方が正しいのかもしれない。
だが、この日はなんだか頭が回らない。いつも頭にすっと入ってくる文字が、何一つ入ってこない。文字がただ頭を素通りし、脳内はまさに粗目のふるいのようで、何もかもがすり抜けて何も残らない感覚。おかしい。目を覚ませ自分と言い聞かせるも、頭は言うことを聞こうとしない。気づいたら私は床に倒れていた。

 

なぜ私はいつもこうなのだろう。今回も簡単に潰れたではないか。今回はうつ病。いつもそうだ。何か困難が降りかかってきた時は決まって自分が絶えきれず崩壊する。そして自分のパフォーマンスが著しく低下する。それだけではなく、結果的に他人にも迷惑をかける始末だ。

 

この一連の自滅事件は、初めての体験ではなかった。私が中学生の時、同じような状況に出くわしていた。突然学校に行けなくなってしまったのだ。当時の治安の悪い学校環境に耐えられず、ついに体が動かなくなったあの時の激しい情動は鮮明に脳裏に焼き付いている。
ダブルでこころにくるなあ、と胸がきりきりする。あの時の苦しみが再燃すると共に、同じ失敗を繰り返している、という自分の情けなさが追い打ちをかけた。


やはり私の精神が脆弱すぎるのが原因だ。いつも負の感情に体が打ちのめされるのだ。そしてその原因は、やはり自分が自分を苦しめる生き方をしているからではないかと体感した。もう苦しい生き方は辞めよう、そう心に誓った。

 

そもそもなぜ私がうつ病なる精神病に至ってしまったのか。これはおそらく仕事だけが原因ではなかったと思われる。そもそもここ数カ月、私の精神は金魚すくいのポイの如く脆かった。それは次々と訪れた、祖父母との永遠の別れが原因だ。次々といなくなってしまった大切な存在が、私のこころを暗い精神世界へといざなっていた。正確には、自分の生き方と向き合っていたのだが、ここで私は自分の精神の脆弱性を初めて意識的に認識したのだ。

 

そんな中で、自分のこころに大打撃を受けた出来事があった。それは、自分が変えたいと思っている部分 ーこれが自分の弱さと直結する悩みの部分なのだかー を、ふと人に話した時だった。
自分がなかなか行動に移せないことに悩みを感じていて、それは精神基盤が安定していないからだと考察していた。生まれ持った繊細な気質や、かつて経験したトラウマ、そして思考のゆがみが故の自分自身に対する厳しさなどが、行動にブレーキをかけているように感じていたのだ。だから、今私は精神を鍛えるという変革の道中にいて、一つ一つステップを上がっていること、そして優先順位を精神鍛錬に集中していることを話した。だから、自分が人生の中で本当に成し遂げたいことは、まだ実行に移すべき時ではないと考えていることも話した。

が、返ってきた返答は、私のこころを滅多刺しにするものだった。

 

「結局それって行動してないじゃん。甘えとしか思えない。チャンスは待ってくれないんだよ。」

 

そう、結局私はまた話す相手を間違えたのだ。
もちろんこういう風にある意味批判してくれる人の意見は有り難くもある。だが、当時の脆弱な精神状況でこのようにどかんと一蹴されたことは開いた傷口に塩を振りかけられたようなものだった。ぜいぜい言いながら必死に上っていた階段が、その言葉によって破壊され、ぼろぼろと崩れ落ちていく感覚を覚えた。
トラウマという概念が理解しにくい人もいるもんだなあ。私はその時その場から逃げ出したい気持ちで埋め尽くされた。

 

結果的に私は、意を決して開けたこころの扉を締め切る前に、たくさんの毒矢をあびてしまったのだ。その日以降、私のこころには毒矢が刺さったままだった。そしてどす黒い雲が上空を覆い、ふとその雲が大雨を降らす。毒に蝕まれ、大雨の中傘をさす事も出来ずただ立ち尽くすだけの時間が増えた。

 

 

そんな事件も重なり、仕事の負荷が追い風となって、心療内科へといざなわれたのだろう。
休職という苦渋の選択をした今、「自分の弱さの根源は何なのか」という一つの命題が生まれた。
どうして自分は苦しい生き方をしているのか。
弱いのは気質なのか、考え方なのか。

私はどうしたら強くなれるのか。

 

この大きな命題を解き明かすため、精神世界への旅が幕を開けたのだった。